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【400字小説】部屋

そこで起こった数々の出来事を、
清子は鮮明に思い出していた。
引っ越しの手伝いをしている途中、
友人が運転する車で
そのアパートの前を通り過ぎる
僅かな時間のあいだに。
そこは、清子が初めて男と体を重ねた部屋。
初めて男と罵り合った部屋。
初めての別れに打ちのめされた部屋。
そこを出てから8年が経っていた。

住んでいた203号室のベランダで、
洗濯物が揺れていた。
知らない誰かが住んでいることは
わかっていたが、
切なさを感じずにはいられなかった。
自分だけの大切な思い出を、
こっそり他人に奪われてしまったような気分。
いい思い出ばかりではないのに。

「ねえ、清子。聞いてるの?」

運転している友人のその言葉で、
清子は現実に帰る。
息苦しくて、ため息を吐く。

「式の準備は進んでんの?」

「ああ、うん、順調」

窓の外を眺めながら、そう答えた。■
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by nkgwkng | 2013-10-31 06:09 | 400字小説

【400字小説】恋心にも似た

譲史は毎朝、駅の近くである女性とすれ違う。
20代前半のOLで月火水木金、
雨、風、雪の日、いつでも走っている。
毎朝遅刻ギリギリなのだ。
初めて彼女を見た時、
女を捨てたかのような形相に
何事かと思ったが、
毎朝のことなので慣れてしまった。
時折、十分も早く起きれば
歩けるのにと思いもしたが、
譲史が煙草を吸い続けるように、
彼女にもやめられない理由が
あるのかもしれない、
譲史はそう思うようにしていた。

彼女と出会ってから
半年あまりのある朝、
譲史は初めて彼女に会えなかった。
次の日もその次の日も。
奇妙なことに譲史は彼女を心配した。
病気したのかもしれないと思えば
仕事にならなかったし、
もう二度と会えないのだろうか
と思えば切なかった。

彼女と再会する朝は
それからすぐにやってきた。
でも彼女は走っていなかった。
譲史は腑に落ちない気分で
彼女とすれ違う。
春に咲く花のようないい匂いがした。■
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by nkgwkng | 2013-10-30 07:52 | 400字小説

【400字小説】はじまり

千春は眠れずに本を一冊読んでしまった。
ベッドで慶介が豪快に眠っている。
昨晩は平穏な海原のように
何事も起きなかった。
「自分に自信が持てない」と書いてある、
長いため息をひとつ吐いた。
しばらく毛布からはみ出た
細い慶介の脚をただ見ていた。
それから届いたばかりの新聞に目を通し、
不幸な事件を数える。
そして、いつの間にか眠った。

数十分後、慶介は携帯電話にかかってきた
母からの電話で目を覚ました。
実家で飼っていた犬が死んだ
という知らせだった。
実感が沸かなくて悲しくなかった。
たばこはいつも通りの味覚で、
千春は泥のように眠っていた。
寄り添ってまた眠った。
世界で起きてしまった不幸の全部が
夢であることを願って。

それから三時間後、
慶介からのアクションで
二人はそれまでの関係を踏み越えた。
すべてが終わった後、
慶介は裸のままの千春に抱きつき
「実家の犬が死んだんだ」と言って
静かに泣いた。■
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by nkgwkng | 2013-10-29 05:05 | 400字小説

【400字小説】風邪

「ごまかさないでよ。
さっきからサッカーばっかり見てて、
全然話聞いてないじゃない」

「ごめんごめん。
でも、すげえいい試合なんだよ。
お願いだから話しかけないでくれる?」

夫のその言葉を聞いた未夏は何も言わず、
シャワーを浴びて眠ってしまった。
流し台には、汚れた皿や鍋が残ったままだった。

翌朝。
未夏はひどい風邪をひいていた。
風邪は昨夜、未夏の怒りの陰に
こっそり隠れていたらしい。
夫はとても心配したが、
昨夜のこともあり、
未夏は夫を邪険にした。
夫は仕方なくいつも通り仕事に出掛けた。

薬は効かなかった。
それどころか悪くなるばかりだった。
病は心を弱らせる。
夫のことを腹立たしく思う一方、
ケンカしたまま死んだら嫌だなと、
少し思ったりもした。

昼下がり、夫が帰ってくる。
「心配だから早退してきた」と
照れ臭そうに言った。
それを素直に喜びたい感情と、
昨夜のことを許せない感情。
未夏の表情はぎこちない。■
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by nkgwkng | 2013-10-28 17:34 | 400字小説

【400字小説】鳥の巣

住宅街の路地を歩いている。
別れてしまった二人。
和寿の部屋に残っていた最後の荷物を、
可奈子が取りにきた帰り道。
駅に向かって歩いている。
手押し車をゆっくり押す
おばあさんとすれ違う。
学校帰りの小学生が
歓声をあげて走っていく。
庭の隅の日陰で寝ている猫。
どこかの家から聞こえる、
かすかなテレビの音。
二人は黙って歩く。
子どもを堕ろしてからも、
今まで通り可奈子は料理をつくったし、
和寿は可奈子に
誕生日プレゼントをあげた。
以前と何も変わっていないように
二人は装った。
でも、手を繋ぐことは、
とうとうできなかった。

「ねえ。あそこに鳥の巣があるの知ってた?」

可奈子は街路樹の天辺を指差した。
そこには、使い終わった鳥の巣。
和寿はそこに鳥の巣があったことを
初めて知った。

「カナコのそういう感性が好きだった」

その言葉を和寿はそっと胸にしまった。■
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by nkgwkng | 2013-10-27 11:14 | 400字小説

【400字小説】つむじ風

その日、充は自分の気持ちを
伝える決心をしていた。
香子と落ち葉を踏んで歩く、
夕暮れの公園。
犬が女性を引っ張っている。
ブランコに子供が振り回されている。
香子が自分に好意を持ってくれていると、
充は感じていた。
でも、勘違いかもしれないとも思っていた。
その気持ちの方が大きかった。

香子の歩幅に合わせて歩く。
香子は微笑んでいる。
話は弾んでいる。
でも、気持ちを伝えるチャンスを
つくれずにいた。
そんな時、充はバイト先の後輩と
ばったり会う。

「彼女いないとか言ってたのに、
いるんじゃないですか。
裏切り者!」

そんなふうに彼は
充を散々茶化して去っていった。

「ごめんね。
勝手にヤツの中で、
俺たち付き合ってることになってて。
訂正しておくから」

「わたしはかまわないよ」

つむじ風が落ち葉を蹴散らした。
香子の言葉の意味に
充は戸惑っている。
曖昧な笑顔を浮かべて、
次の言葉を捜した。■
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by nkgwkng | 2013-10-26 07:13 | 400字小説

【400字小説】谷間に8割

「相談があるんです」と
音彦はまり子に呼び出されて、
近所の飲み屋に入った。
二人は同じファミリーレストランで働いている。
音彦は社員、まり子はアルバイト。

「実は私、帆足さんと付き合ってるんです」

深刻そうな表情でまり子は言った。

「店長が知ったら、
どちらも辞めなきゃいけなくなるから、
バレないように注意してたんです。
でも昨日、ホームセンターで
一緒にいるところを見られてしまって。
その場はうまくごまかしましたけど、
店長は疑い深い人だから、
バレるのは時間の問題かな
って思うんですね。
でも、こんなことで仕事辞めるのも
バカバカしいし。
それでどうにかならないかと思って、
音彦さんに相談したいんです」

音彦はその話を2割しか聞いていなかった。
私服のまり子は肌の露出が激しくて、
ついつい注意力を奪われてしまったから。

「帆足のヤツがうらやましい」

飲み干したビールはいつもより苦かった。■
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by nkgwkng | 2013-10-25 16:27 | 400字小説

【400字小説】潔さとは

土日の休みが終わって学校に行ったら、
千原の担任・井原に異変が起きていた。
見本のようなハゲであったのに、
フサフサになっていたのである。
開口一番「カツラにしましたんでよろしく」と
教壇に仁王立ちした姿は、カッコ良かった。
クラス中が盛り上がり、
スタンディング・オベーションで
井原コールが起きた。
ほかのクラスでも井原の株は急上昇。
一方、体育教師の中山は
どう見てもヅラであるが非公開である。
誰も怖くて陰口さえも言えない。
ある日の保健体育の授業前でのことであった。
千原は5人の仲間たちと語り合っていた。

「ヅラであることを隠している中山もそうだが、
奴にヅラだろって指摘できない俺たちも
潔くないんじゃないか。
だから俺がこのあと本当の潔さを見せてやる」

千葉は唾を飛ばす。
チャイムが鳴る。
中山が教室に入ってくる。
授業がはじまるなり、千原は立ち上がり、
それを実行した…。■
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by nkgwkng | 2013-10-24 13:21 | 400字小説

【400字小説】存在の耐えられない軽さ

「女から男に電話するなんて、
ナシだよなー」

いずみはそう思いながら、
信也に電話を掛けた。
呼び出し音が鳴る。
1回、2回、3回…。

信也とは先週末、クラブで出会った。
スカが大音量でかかる店内。
いずみは葉子と踊っていたのだが、
クラブは初めてだったから、
すぐ疲れてしまった。
ソファーに座りながら、
踊る葉子を見ている。
女のいずみから見ても
彼女はかわいらしくて魅力的だった。

「ちょっとそこ詰めてくれる?」

大きな声とジェスチャーで
話し掛けてきた男。
それが信也。
その夜、彼と何かあったわけではない。
そのあと、いずみと信也の友達とクラブを出て、
4人で飲みに行っただけ。
ケータイ番号を交換しただけ。

その番号に電話を掛けている。
呼び出し音が4回鳴った後、信也が出た。
いずみはあたふたしながら
自分の名前を言う。

「イズミちゃん? 覚えてるよ。
あのすげーかわいいヨウコちゃんと
一緒にいた人でしょ」■
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by nkgwkng | 2013-10-23 11:38 | 400字小説

【400字小説】釣堀

平日の人も疎らな釣堀。
紘希と希和子は、
黙って釣り竿を握っている。
釣堀なのに魚が釣れそうな様子はまったくない。
飛行機の轟音が遥か上空から降ってきた。
まぬけな鳩は空き缶につまずき、
その空き缶が音を立てて転がる。
紘希は結婚について考えている。
二人は付き合ってから九年の関係。
プロポーズに絶好の機会は、
もう来ないのかもしれない。
だとしたら、
いつプロポーズしても同じじゃないかと、
紘希は思う。

「あのさ、俺たち結婚しようか?」

紘希の口から、勝手に言葉が出た。

「ハア? 何言ってんの?
えっ、もしかしてプロポーズ?
てゆうか、こんなとこで?」

「いや、だって、そんな気分なんだもん」

「何それ」と言って、黙り込む希和子。

「プロポーズ、九年待たせて、これですか」

こらえきれずこぼれた希和子の笑顔が、
水面の上で弾けた。■
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by nkgwkng | 2013-10-22 17:30 | 400字小説