【掌編小説】夏が狂って、

摂氏35度。
4歳の娘が扇風機の前でつぶやく。
ワレワレハ、ウチュウジンダ。
「どこで覚えてきたの、そんなこと」
妻が笑いながら配膳する。
テレビに映るニュースキャスター。
幼児を巻き込んだ悲しい交通事故を報じている。
午後6時半すぎ。
今日のごはんはハンバーグ。
添え物は粉吹き芋とにんじんのグラッセ。
いただきますと両手を合わせて食べ始める。
口の中にできものができた娘は「口が痛い」と泣いて
ハンバーグが食べられない。
しかたがないから白米だけをひたすら食べさせる。
私は食事をしたら腕や額に汗が浮き出た。
タオルで拭くが止まらない。
「クーラー直さないとね」
私は妻に言う。
「そんなお金、ない」
扇風機がうーうー唸りながら首を振っている。

私は小説を書いているが金にならない。
自称小説家、つまり無職。
妻の収入と両親からの仕送りで暮らしている。
私は無収入。
就職しろ、と誰かは言うだろう。
だができないのだ。
私は厄介なことに精神を病んでいる。
双極性障害。
躁と鬱の症状があるが鬱の方が強い。
死にたくなってビルの屋上の淵に立ったこともあるし、
薬を大量服薬したこともある。
首吊りをしたこともあった。
だが死ねない。
死ぬのが怖い。
痛いのが怖い。
今は薬のおかげで症状が出ることはない。
見た目は健常者と変わらない。
だがまた死にたいという気持ちが
湧いてくるんではないかという不安が拭えない。
希死願望が心の奥底に巣食っている。

できれば小説で生活していきたい
と考えている私は馬鹿なのだろうか。
私は今年で37歳になる。
コネもなければ書く技術もない私だ、
夢みたいなことを言っているのはわかっている。
だが、どんなに馬鹿にされても書くことだけは止められない。
私は生きることに希望を見い出せない。
妻の手料理や娘の笑顔といったささやかな幸せで満足できない。
書くことだけが私を救ってくれる。
それを妻に面と向かってはとても言えない。
申し訳なく思う。
だがそれが本心なのだから仕方がない。
書くことは妻や娘に対しての背信行為だ。
だから私は葛藤しながら書く。
苦しい。
こんなに苦しいのならいっそのこと狂ってしまいたい。
狂って何もかもがわからなくなればいい。
狂った精神状態で書きたい。
それならばどれだけ楽だろうか。

先ほど、悲しい顔で原稿を読んでいたニュースキャスターが、
今度は明るい顔で天気予報を報じている。
「明日も全県で猛暑日となるでしょう」
娘が食事に飽きて素手でごはんをいじりはじめる。
妻がそれを叱る。
だが止めない。
叱る。
だが止めない。
叱る。
だが止めない。
妻が苛立っているのがわかる。
娘はそれに気づいていない。
扇風機のまわる音が畳の上を這う。
風は生暖かい。
ゴチソウサマデシタ、オイシカッタデス。
ご飯粒のついた指を舐めながら娘が扇風機に向かって言う。
「まだご飯残ってるっ。ちゃんと食べなさいっ」
妻が怒る。
何も言えずに黙々と食する私。
気まずい雰囲気の食卓に
テレビのニュースキャスターの笑顔が弾ける。

私が狂って家にいられなくなったら妻は途方に暮れるだろう。
そう思いたいが、案外開き直って逞しく女手ひとつで娘を育てる。
だとしたら私の存在って一体? 
おそらく私が自殺しても妻は逞しく生きるだろう。
少しの間は悲しくて泣いてくれるかもしれないが、
いつまでも泣いている場合じゃないと涙を拭いて立ち上がる。
私の存在なんてただの迷惑なだけだ。
いじけているんじゃない。
本当にただの迷惑だと思う。
だから私なんて一刻も早くこの世から消え去るべきだ。
自殺をしたら皆驚くだろうか。
死ぬことで皆を驚かしてやりたいという幼稚で安易な私がいる。
ただ甘えてるだけなのだろう。
人生の面倒臭さから逃げたいだけなのだ。

……私は一体何が書きたいんだ?
話がとっ散らかってきた。
こんな程度の小説しか書けないのだ、私は。
小説なんか書いている暇があったら、
そのエネルギーを働く方向へ向ければいい。
こんな小説、書くだけ無駄だ。
つまり読むだけ無駄だということ。
申し訳ない。
私は読者を獲得することを放棄する。
投げやりになってきた。
そんな気分。

それでも私は書きたいと思っている。
どうか私を見捨てないで下さい。
どうかもう一度だけ小説を書くチャンスを下さい。
そうしたらきっとあなたが気に入る小説を書くから。

食事後、茶碗や皿を洗う。
台所はぬるかった。
妻は洗濯物を干している。
娘はCMの音楽に合わせて踊っていた。
かわいらしく思う。
そのささやかな幸せで満足して生きていけばいいのだろう。
だが私は満足できない。
小説で有名になりたい。
誰かに褒められたい。
単純な私。
大馬鹿者だ。
サイテーだな。
自分のためにしか書けない私は
小説家になんかなれやしないだろう。
誰かのために書くことができたら
小説家になる権利を得られるのかもしれない。
食器を洗い終え、居間に座る私。
妻と娘は手を繋いで飛び跳ねている。
キャッキャッと娘の楽しげな歓声。
どうやらふたりは仲直りしたようだ。
また、ささやかな幸せを感じる。
私はクイズ番組を横目に観ながら扇風機に向かってつぶやく。
ワレワレハ、ウチュウジンダ。(了)
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by nkgwkng | 2012-08-01 14:12 | 掌編小説
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